国家観

「吉田路線」を超える構想が必要

戦後70年以上にわたって、アメリカ中心の世界秩序の下、日本は吉田茂が1951年にアメリカとの間で締結した日米安保条約により、アメリカとの緊密な連携の途を選び、それを通じて戦後の平和と繁栄を謳歌してきた。これを「吉田路線」という。極めて的確な国家戦略であった。日米安保条約の最大のポイントは、アメリカの対日防衛義務を確保することだった。

しかし、アフガン戦争、イラク戦争を経て、アメリカの国力の相対的低下が見られる昨今、現在のトランプ大統領は「アメリカ・ファースト」と言い、アメリカは自国の事で精一杯であり、他国の事など関わる余裕は無いとの姿勢をはっきり打ち出すに至っている。戦後のアメリカ中心の世界秩序(国際連合、自由貿易、ドル基軸通貨体制)について、大きな動揺が見られ、世界の流動化は激しい。

日本としては、アメリカとの連携が基本であることは変わらないとしても、日本の今後の国家戦略としては、「吉田路線」を超える構想が必要となっている。自らの運を切り開いていかねばならない。

私の構想は、「アジア・太平洋協定」だ。アジア・太平洋地域の国・地域が加盟するAPECを基礎として、経済連携と安全保障の両方の性格を併せ持つ新たな枠組みをつくることを目指す。平和と繁栄のための新たな秩序の形成だ。それは、既存の枠組み、構想(ASEAN、RCEP等)に日本海を囲む「北東アジア経済連携」のような新たな発想も組み合わせれば、不可能ではない。その形成に、先頭となって尽力したい。

北朝鮮問題の解決

北朝鮮のICBM発射、核実験について、アメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩との間で、非難の応酬が激しさを増しているが、言葉使い等が極めて幼稚であることに驚くとともに、狂気じみており、深刻な危機感を感じる。

アメリカのトランプ大統領は「制裁」を声高に叫んでいるが、「制裁」については、さじ加減が死活的に重要だ。「制裁」即ち「圧力」については、想起すべき歴史的事実が有る。
太平洋戦争前、アメリカの議会では、「アメリカが確固たる立場をとれば、日本は引き下がる。(If we stand firm, Japan will back down.)」と言われていたという。それで、日本に対して、石油禁輸、在米日本資産凍結などの「制裁」を発動した。即ち「圧力」をかけた。しかし、日本は引き下がったか?back downしたか?むしろ、The Empire struck back. 真珠湾攻撃という選択をし、そこから太平洋戦争が始まり、悲劇が始まったわけである。

今回の北朝鮮問題との絡みで、この70年以上前の歴史について、アメリカの指導者(達)はどれだけ知っているだろうか?あるいは意識しているだろうか?トランプ大統領は北朝鮮に対する石油の全面禁輸を言うが、それで日本は引き下がるどころか、窮鼠猫を噛み、真珠湾攻撃を敢行し、悲惨な戦争を経験したわけで、歴史を知る者は、トランプ大統領の軽率な発言に戦慄を覚えているはずだ。

「外交官」で処理できなければ、「軍人」の仕事になってしまう。「対話」の途を閉ざしてしまうと、「戦争」への途を開いてしまう。「戦争」にならないようにするには、「対話」しか解決の途はありません。アメリカには短気にならず「対話」の途を探ってほしいし、北朝鮮もそろそろ「対話」に乗らないと、それこそ破滅しかねません。

アメリカも日本も法律的には北朝鮮と戦争状態が続いており国交が無いし、そもそもこれまでの北朝鮮の言動を考えると「対話」は簡単ではありませんが、軍事的手段では事態の解決には決してつながらず、私は「対話」による平和的解決にあくまでこだわります。

私が外務副大臣をしていた時、北朝鮮にメッセージを送り、反応が有りました。その後、尖閣国有化の閣議決定によりそれはつぶれましたが、「対話」の接点は有ります。北朝鮮問題を平和的解決に導く途は有ります。

「政治は最も高貴な仕事である」

外交官としてイギリスのロンドンの日本大使館に一等書記官として勤務していた頃、フィナンシャル・タイムズ出身のジャーナリスト、ジョージ・ブルさんと仕事でよく話しをしたが、その際に彼が、「政治は最も高貴な仕事である」と言っていたのを思い出す。最近、政治家のスキャンダルがよく報道されるので、世間の政治家に対する評価はガタ落ちになっている今、一見逆説的に聞こえるが、この言葉は元々、政治は権謀術数で時に汚いと言われる面もあろうが、政治は国民が幸せであり得るかどうかの根本は政治次第であるから、「高貴な仕事」なのだという意味だと思う。あらためてよく噛みしめたい。

外交官から政治家に

私の父は相生市で歯科医として頑張っていたし、家族にいわゆる政治家はいなかった。中学生の時、父親のはからいで神戸YMCAの交換プログラムでアメリカのシアトルに行き、日米の中高生でキャンプをした際に、国境を越えた心と心の交流の感動を体験したことがキッカケで、歯科医である親の後を継がずに、外交官をめざし、東大法学部を目指し入学した。

ただ、高3になる時に、文系か理系かを決める際、父親に歯科医を継ぐべきか、外交官を目指してもよいかと訊ねた。もし父親が歯科医を継げと言っていたら、継いでいただろう。しかし、彼は「自分で決めろ。お前はオレが歯科医を継げと言えば多分継ぐだろう。しかし、どんな仕事でも大変だ。きっと将来、こんなんだったら、自分の成りたかった外交官を目指せばよかったと後悔するに違いない。だから自分で決めろ。」と突き放すように言った。そして、「例え跡を継いで歯科医になっても、一緒にはやらないでくれ。親子で一緒にやるのは難しいものだ。お前はきっと『親父のやり方は古い』とか、『間違っている』とか言うだろうから、どこか遠い所で開業するなりやってくれ。」と、ずいぶん寂しい答えだった。私は、「なんだ、親父と一緒にやれないなら、歯科医にならなくてもいいか。」と思い、外交官を目指すことを決心した次第だ。

東大法学部には現役で合格したが、外交官試験には2度落ち、苦労して3度目にやっと合格したので、当然最後まで外交官を務め上げるはずだったが、実際に外務省で勤務してみると、官僚は政治家にペコペコして言いなりになっていることに大きく失望した。と言っても、地盤・かばん・看板のない自分に政治は無縁だと思っていた。ところが、ロンドン勤務の際、当時の小沢一郎新進党幹事長に見い出されることになり、徒手空拳、1996年の衆議院議員総選挙に出馬することになる。その時は落選したが、新進党分裂の後、次の総選挙において無所属で当選、紆余曲折を経て今に至る。

トインビーの予言

イギリスの歴史学者アーノルド・トインビーは、「いずれ世界の重心は西洋から東洋に、大西洋から太平洋に移るだろう」と予言したと言われる。最初この言葉を聞いた時は、「本当かな?」と半信半疑だったが、今、それが現実になりつつあるのではないかと感じる。日本の発展もそうだが、中国、韓国、ASEANの国々等々の台頭著しい。
ならば、日本の政治家の果たすべき役割も大きいと思う。私は、この地域及び世界の平和と繁栄のために、「アジア・太平洋協定」構想を進めたい。そして、ゆくゆくは北朝鮮もその輪の中に入れることによって平和をつくることも選択肢として有り得る。

新たなシステム・デザインにより「問題解決先進国」に

日本は世界で最も高齢化が進み、超高齢化社会と呼ばれる。年金、医療、介護、子育てについて、維持可能で安心できる仕組みを実現せねばならない。「税と社会保障の一体改革」と言われるが、現実には、民主党政権時代に税について消費税のアップが決められただけで、社会保障の仕組みをどう改革するかについては議論が進んでいない。今の日本の仕組みは、アメリカに近く低負担型に近いが、国民的には高福祉を要求され、その差が赤字で賄われているとも言える。将来、北欧型の高福祉、高負担に近づけて、安心を確保するのかどうかについて、政治の場で議論を進めねばならない。

昔、織田信長の時代は人生50年と言われたそうだが、今や敬老の日に100歳以上の方の人数を聞いて会場にどよめきが起こるほどで、人生100年時代が現実に来ると言われる。そうなると、仕事のあり方、教育のあり方も含めて、社会全般について新たなシステム・デザインが必要である。日本は世界で超高齢化社会の先頭を走っていることを自覚し、その解決モデルを世界に示すことによって、「問題解決先進国」になろうとする意識が重要と思う。

教育

教育の本質は「内面の充実」だ。学校で習ったことを全て忘れたときに何が残っているかが重要だ。これからの教育においては、この面にもっと意識を向ける必要が有ると思う。

それから、これまでの日本の教育は、正解がある問題について解答を求められていたと思うが、これからは正解が存在しない種々の問題について取り組まねばならない時代であり、教育においても、自ら考えて自分なりの解答を自ら見つけ出す力を養うことが重要である。それにより構想力も鍛えられるのではないか。

ただ、少し表面的なことではあるが、英語とITについてもっと本格的に教える必要も有ると感じる。中国や韓国の若い世代の英語力、IT力は非常に高い。アジア・太平洋地域の国会議員による国際会議がカナダで開催され参加したとき、中国の随員の若い女性が私に英語で激しく挑んできたことがある。私は外務省で英語の仕事をプロとしてやってきたから、むしろコテンパンにやっつけてしまって、少しやり過ぎたかなと反省したくらいだが、普通の日本の若い世代では、国際会議の場で中国の同世代の若者に英語力で全く歯が立たず、勝負にならない恐れすら有る。これは何とかしたい。

イノベーション政策の重要性

アベノミクスの成果についてよく議論されるが、私は成果は有ると思う。例えばGDPの増大だ。ただ、日本においても格差が拡大しつつあり、経済の成長の成果が富裕層に集中し、一般の人々に行き渡っておらず、したがって、消費が全体として思うように伸びていないのだと思う。日銀がお金を刷って貨幣数量を増やし、財政の出動も増やしただけでは、これまでの経済政策と次元が変わらず、経済の実体が必ずしも強くなっていない。

経済の実体を強くするのは、イノベーション政策だ。それなしに金融緩和、消費増税、公共投資だけでは、真の事態の解決に至らないだろう。私の案ではあるが、消費税をアップする際に、そのわずかな部分例えば0.5%分(約1兆円強)をイノベーション政策に回すというのはどうだろうか?そのことにより、消費税アップが必ずしも経済へのブレーキにならず、成長に結びつくことになるのではないか。

日本は元々イノベーションが不得意ではない。ウオークマン、ウオシュレットは立派なイノベーションだし、新幹線のシステムも、それまで先頭車両が機関車として後の車両を引っ張っていたやり方を根本的に変え、全車両にエンジンが付いており、それゆえスムーズな発着が可能だという画期的なイノベーションだ。国民皆保険も制度として世界に冠たる立派なイノベーションだ。

イノベーションにより新しい産業を興して世界経済の発展を牽引した国が覇権国となっている。アメリカは、自動車産業、航空機産業、宇宙産業、IT産業等々、イノベーションにより主導産業を生み出し、世界の覇権を握ってきた。しかし、アメリカは今、アフガン戦争、イラク戦争のつけも有り、イノベーション力が低下している。これが国力の相対的低下となって現れている。今や世界第二位の経済を有する中国ではあるが、イノベーション力においては今一歩ではないか。日本はこの分野でもっと頑張れる。

そのことにより、日本として今後の国際社会において、相応の役割が可能になる。

新産業

イノベーション力が強化されることにより、新産業を育成することが経済の実体的な強化につながる。

同時に、これが若い世代の賃金の上昇に結びつくことが重要だ。年収200万円以下の若い世代が約1千万人近くとも言われる。年収200万円では結婚、出産にブレーキがかかると思う。これは少子化につながり、社会保障の仕組みを支える働く世代の減少につながるので、超高齢化社会としては何としても解決せねばならない。皆に相応の仕事が行き渡るように、新産業の育成に努める重要性がそこにもある。

新しい産業を果敢に興し、新しい職場を創り、国民の所得を増大させれば、商品も売れ、価格も上がるので、デフレを解決、国民の所得格差を克服、日本の「人口減少」も緩和できるだろう。

政治が国家戦略としてイノベーションを喚起しベンチャー企業を促す環境を本格的に作る必要が有る。

農業イノベーション

農業でもイノベーションは重要。これまで化学肥料を使い過ぎたために土中に化学物質が残留しており、それが微生物を殺してしまって、最近の野菜は栄養価が低くなったと言われる。また、残留している化学物質はアトピーやガン増加の原因とも言われだした。そこで、土中に残留している化学物質を先ず沈殿させ、野菜等がそれを吸収しないようにし、その土に適した部生物を見つけて働かせる。もちろん肥料は有機肥料のみを使う。こうすることにより、発ガン性物質を含まず、栄養価も高い野菜がつくれる。これは相当市場価値が高くなる。地元でこのような農業イノベーションを進めることにより、兵庫12区の人は元気な人が多く、ガンになる人の割合が低い、と言われるようにできればと思う。これを全国に広められれば、日本人が健康になり、ガンになる人も減るということになり、それだけでも素晴らしいが、医療や介護に要する国の費用も減らせるのではないか?

憲法、特に集団的自衛権

国のあり方を考える際に憲法は避けて通れない。但し、私は今の憲法が日本人の幸せを邪魔しているとは思わない。今の憲法の文言を変えなければ日本が守れないとも思わない。

憲法改正論の主要ポイントの一つが集団的自衛権だが、これとて憲法の文言を変えなければ認められないものではない。ちなみに集団的自衛権は、国際連合によって創られた権利であり、国であれば当然有する権利ではない。国際連合は、もう悲惨な世界大戦が起こらないように、加盟国の武力行使を禁止することが最大の眼目であった。そうすれば戦争は防げるだろうという発想だった。しかし、国際社会は国内のように警察組織が有るわけではないので、自衛のための武力行使は例外として認めざるを得ないとし、また、当時米ソ冷戦が始まりつつあったので、それに対応するためには「集団的自衛権」という新たな自衛権を創設することにした。例えば、ソ連がイギリスに武力攻撃を仕掛けたとして、従来の自衛権では、アメリカは自らが攻撃されていないのだから、ソ連に反撃できないので、「集団的自衛権」という新たな概念を創設し、アメリカとしては自らはソ連に武力攻撃されていなくても、イギリスは自分と一体だという考え方でソ連に反撃できるようにしたのがその起源だ。したがって、独立国なら自然権として皆、集団的自衛権を有するというのは間違いということが分かるだろう。あくまで、国連が創り出した人口の権利だ。

日本はサンフランシスコ条約により独立を回復後、国際連合に加盟した時点で、国際法の理論の上では、集団的自衛権を認められるに至ったはずだが、敢えて自らにブレーキをかけ、集団的自衛権を「保有はしているが、使えない」という「解釈」を自らに課してきた。戦後、日本は自らに対する各国の信頼がまだ得られていないという判断だったのだろう。しかし、誰がそのような解釈をしたのか未だに全くはっきりしない。

ならば、集団的自衛権については、「解釈」の問題として考えることができるというのが私の立場だ。憲法には「自衛権」とか「集団的自衛権」とかの文言は書かれていない。したがって、集団的自衛権がいいとも悪いとも言っておらず、集団的自衛権については元々「解釈」の問題なのだ。各国の日本に対する信頼は今や十分有る。集団的自衛権は「国連加盟国として、保有しているのはもちろんであるし、他のどの国と同様、使える」と解してよいと思う。使わなければならないのではなく、使うかどうかは、その時の政府及び国会の判断である。あえて憲法の文言を変えなくても集団的自衛権は解釈により可能だ。

ただ、憲法改正については、緊急事態条項は危急の場合に備えて必要であるが、今の憲法の文言にはないので、そのような憲法改正は有り得る。

原発

原発を永久に保有しようという意見の人はいないのではないか。私も、今すぐ原発をなくすのは難しいが、いずれはなくさねばならない、出来るだけ自然エネルギーの実用化を早め、それにより脱原発を実現しようとの考えだ。

真にリベラルな保守主義者

私の政治家のモデルは吉田茂だ。外務省の大先輩であり、モデルと言わせて頂くのはおこがましいが、私がアメリカのジョンズ・ホプキンス大学SAIS校の博士論文を執筆した際、吉田茂の日米安保条約に至る過程をつぶさに研究し、その考え方を敢えて同盟政策と呼び、日本としてアメリカの対日防衛義務を条約文言上取り付けることが至上命題であったこと、また、アメリカから「統合司令部」案をつきつけられるがそれを最後まで拒否し、アメリカと対等の同盟であろうとしたことを明らかにした。今、その研究に時間を費やしたことが、私の血肉になって活きている。

吉田茂は、戦前、英米との連携を主張し憲兵隊に投獄されている。その意味で「リベラル」である。他方、戦後、天皇陛下には自らを「臣茂」と呼んだ「保守」である。その意味で、吉田茂は「真にリベラルな保守主義者」であったと言える。私もそのようにありたい。